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2013年03月26日

【印鑑・デザイン物語】(その4)

【印鑑・デザイン物語】(その4)

日本のはんこ社会の確立は、
1873年(明治6年)に太政官布告で正式に決まりました!






戦国時代を経て、徳川幕府、江戸時代に泰平の世が訪れると、行政が

細やかに整備され、商業が発達するにつれて、印鑑は庶民にまで普及

していきました。


証文に用いられる印鑑は当時から実印と呼ばれ、名主が農民たちの

印章を預かり、これを代官に届け、これによって印鑑帳がつくられました。


このような流れで現代日本の「はんこ社会」の確立は、江戸時代からの

慣行をもとにした出来上がりました。


1873年(明治6年)に太政官布告で「証書には本人の自署と実印が必要で

ある」という「署名捺印」が法的に定められ、実印のない証書は法律上、

証拠にならず事実上実印を所持しなければならなくなりました。





その後、100年以上が経った現代においても、印鑑は我々日本人にとって

ある意味、命の次に大事な物になっており、ITが進化し続ける現代社会に

おいてもあらゆるシーンで印鑑が必要不可欠なものなのです。


お江戸の昔から日本では、人生の節目には必ず印鑑があるのです。



1.契印、2.割印、3.訂正印、4.捨印、5.銀行印、6.認印、7.実印、8.会社印

9.代表印、10.役職印、11.ゴム印、12.職印・・・などなど、印鑑といっても

用途や用法によって色んな意味を持っています。


同じ印鑑を押す場合でも、押す文書、押す場所よって、印鑑の意味は

異なります。





印鑑には、「押すことであなたの代わりをしますよ」という「肩代わり」や

「身代わり」の意味合いがあります。

そして、本人に代わって働くもの故にある種の力が生じると考えられています。


その力とは、「責任」を伴う力で、すなわち、印鑑を一度押すと、その印影は

押した人の変わりに「責任」という役目を背負って永遠に存在し続けることに

なるのです。


実印でも、銀行印でも、認印でも種類に限らず、印鑑は、「責任をとらなくては

いけない」ものです。


それ故に、印鑑は様々なトラブルや問題を引き起こす原因になり得るので、

慎重に、かつ丁寧に扱わなければなりません。


  


Posted by デザインはんこ at 18:56Comments(0)情報

2013年03月22日

【印鑑・デザイン物語】(その3)


【印鑑・デザイン物語】(その3)

江戸時代に現在の印鑑社会の原型が確立される!


※徳川歴代将軍の印影


日本における印鑑の使用は、江戸時代に定着して一般民衆の生活まで

深く根を下ろしました。

戦乱を経て泰平の世が訪れると、行政が細やかに整備され、商業が発達

するにつれて、印鑑は庶民にまで普及していきます。


江戸時代初期の印鑑は、角形印が最も多く、次いで楕円印のものでした。

円形の印鑑は比較的少なかった様です。

そして色々な地域の文書には農民の印影が多く見られるようになります。

この時代に印章業者の存在はなく農民たちは自身ではんこを作っていました。







徳川幕府が産業の発展と民衆の安定に力を注いだ結果、町人商業階級が

経済活動を自ら活性化させたために、商取引、貸し証文、個人の保証に至る

まであらゆる証書書類に印鑑が用いられました。


実印を届け出て、印鑑登録をするという形式が登場したのも江戸時代でした。


このように徳川の時代には、町民が経済の力を持ったことに伴い、町民と

武士との契約事や約束事で頻繁にハンコが使われるようになっていました。


それまで権力の象徴として使われてきたハンコが、広く一般庶民にも私印と

して使われるようになっていたのでした。







しかし、武士とは違い民衆には、朱印を使うことは許されていませんでした。

一般民衆に許されたのは黒印の使用で、この当時すでに町民、農民は印鑑

使用の義務が生まれて農民は村の長、また町役人に届ける義務もありました。


実際の彫刻文字は、「福」、「宝」、「栄」など家の繁栄や富、幸福に関する

文字を使用しており、家運を左右するという、現代の「印相」観念に関連する

様な印鑑を作っていたという記録も残っています。



届けた印鑑は必要に応じて照合できるように印鑑帳がすでに作製されており、

届けた印鑑は実印と呼ばれ、重要な文章に使用され、日常的には一般に裏印が

使われていたことが記されています。

このように日本での一般的な印鑑の使用は、江戸時代からの始まりが認められます。



江戸時代が終わる頃になって「判子屋」、「印判師」と呼ばれる人たちが現れ、

はんこの形状、実名を彫刻する現代の印章に非常に近い所謂、「印鑑」が

出来てきたとみられます。



※江戸時代のはんこ職人  


Posted by デザインはんこ at 17:00Comments(0)情報

2013年03月04日

【印鑑・デザイン物語】(その2)

【印鑑・デザイン物語】(その2)





平安時代の後期になると花押(かおう)が登場します。

現代の「はんこ」社会から想像するのは困難ですが、鎌倉・室町時代は

サインの時代でした。


そのサインというのは「花押(かおう)」と呼ばれ、各個人の一筆書きの

ような書き文字で所謂、現在のサインとよく似たもので、この時代は

印章より花押の方が重要視されていました。







その後、戦国時代には花押(サイン)に取って代って印鑑の使用頻度が

増してきました。印鑑に変わった理由は戦争に明け暮れていたため辞令

交付に便利であったことが挙げられます。





また、この当時の印鑑は知識人や知恵者の武将が印鑑を所持している

ことから印鑑の持つ霊力と自己の勇猛を引き出す神宝と信じられていました。

それそれの武将が競って印鑑や印判を作り、戦場に持って行ったことから

印鑑の霊力発見、印鑑の福徳と吉凶は戦国時代から始まったと言えそうです。


天下統一を夢見る武将たちは、それぞれ独自の個性にみちた印章を用いる

ようになりました。

鎧兜や旗印などと同じく、自ら用いる印鑑にも権威を強く押し出そうとしたのです。


例えば、武田家は「龍の印」、上杉家は「獅子の印」、北条家は「虎の印」などや

織田信長の「天下布武」の印章も有名です。美濃稲葉山城を攻略した直後に

つくられたもので、天下統一への悲願が込められた印鑑です。






以上の様に大変興味深いのは、混沌とした戦国の世の中を生き抜いた

武将たちは、自身の権力や存在感をより一層強くアピールする1つの

手段として、現代に通じる「ロゴ・シンボルマーク」を既にこの時代から

使っていました。


21世紀の先行き不透明な現代社会にも十分参考に出来て、深く考えると

何がしかのビジネスチャンスが見つかりそうな感じがします
。  


Posted by デザインはんこ at 18:22Comments(0)情報